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440. 親の介護ができて有難いと思う その1

今回の記事を書こうと思ったのは、親の介護は大変だけれど、学ぶところは大きいのだ、ということを伝えたいため。
もし、ご自身が肺線維症などの進行性難病で、「家族に迷惑をかける」ことに、ためらいを感じておられるならば、それは違う、と言いたい。

もちろん、介護のご苦労は、本当に千差万別だと思う。
認知症なのか、身体的な病気なのか。
認知症であってもどのような問題行動を伴うのか。
また介護者の年齢や、周囲のサポートはどうなのか、等々で、介護される側、する側の辛さは大きく変わると思う。

私の場合、母の身体機能が落ちて介護が必要となり始めたのが2008年頃で、40歳半ばの働き盛りの頃だった。
その頃に介護離職を余儀なくされていたら、キャリアを諦めることに大いに悔いが残っていたと思う。
父が頑張ってくれていたおかげで、私は56歳の現在まで、仕事を続けることができた訳で、父には感謝してもしきれない。

そんな状況下で、2013年に父の初期胃がんが見つかった。私は51歳で営業部長職にあって、最も多忙な時期だった。
精神的に辛かったNO1の出来事だ。

低侵襲治療(内視鏡ESD)を調べて、地域医療連携室で、紹介状を書いてもらい、お目当ての医師の診察予約を取った。
本来ならば適応例を超えていたので(未分化がんだった)、いかにその医師に引き受けてもらえるように口説き倒すか、シナリオを色々考えて臨んだ。あの日の必死さは忘れられない記憶だ。

父の内科的手術が成功して安堵した半年後の同年、今度は、母の頚髄症が悪化して手術・入院と続く。
リウマチが基礎疾患にある難しい患者であったため、入院拒否などもあり、引き受けてくれる病院探しに奔走したこの時期は、辛かったNO2だ。
この時も、お目当ての病院に宛てて、主治医から地域医療連携室経由で紹介状を書いてもらい、口説き倒しに乗り込んだのだが、この時は一度目の経験が生きた。
内視鏡による低侵襲手術は成功して、母は復活した。本当に有難かった。

まあ疲れもたまっていたのだろう、2014年11月から膵炎の発作を起こすようになり、とうとう12月に救急車を呼ぶ羽目になった。
その際にIPFも発覚し、IPFの告知へとつながる。

介護のストレスで発症したのか、と思った時もあったが、多分介護がなければ、管理職を続けていたろうし、職責のストレスで結局は発症していると思う。
禍福は糾える縄の如し。早期発見が、私の余命を延ばしてくれた、と確信している。



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プロフィール

ゆりりん

Author:ゆりりん
1962年生まれの56歳、京阪神に生息。
2014年12月末にIPFの告知を受けてから、経過と探求の日々を綴っています